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2020年04月10日

ブログを引っ越し

このブログを『楽庵日記』と統合しようと思います。

『楽庵日記in上海』は、2017年2月から2019年5月まで、知人らが立ち上げたアパレルブランドと
コンサル契約を結んで顧問として経営に携わったときの諸々のことを書き綴っていました。


新型コロナだけではなく、様々なシーンで世間を騒がせる中国。


2年半近く、隔週ペースで上海をはじめ、北京、重慶、西安などなど各地を訪れ、自分の目で見、肌で感じた生の中国。
私は中国びいきではありませんが、日本人の一般的な中国の評価とは少し違いがあるかと思っています。
あくまでの私の主観が入りますが、実際に見たもの、現地の人と接して感じたことを思い出す範囲で書いてみようと思います。


前回までは連載風に書いていましたが、かえって書くのがしんどくなったので。
今回はバラバラと、思いつくままに。


relaxation salon 楽庵
080-1732-0789
  

Posted by katsu at 09:26Comments(0)

2019年09月14日

1店舗目

上海東浦国際空港から30分ほどのところにある店舗に入った。


きれいに作られた売場は好印象。だがとても気になることがあった。
お客さんがまばらだ。


この時は旧正月明け。日本で言えば年末年始商戦を終えた1月中下旬に
相当するようだ。
昨年この話をもらった時に見せてもらった店舗の写真はお客さんがごった返して
いたので、理由はどうであれあまりにも違い過ぎる状況に先行きの不安を感じた。


良い点もあった。
スタッフだ。
とても雰囲気がよい。
お客さんにつかず離れず、とてもフレンドリーに接している姿に可能性を感じた。
私が以前出張できていた10年前の中国市場はどこの店もお客さんに
いらっしゃいませと言える販売員は皆無に等しく、笑顔で接客なんてとてもとても。
これが当時の小売りの現場の全体相場だった。


言葉は分からないが、話しかけられてこちらも自然と笑顔で返す、
そんな店舗であり働くスタッフたちだった。
これは武器でありこの会社の財産だと思った。
  

Posted by katsu at 11:14Comments(0)

2019年08月10日

11:劇的な変化

このブログを通じて伝えたいことの一つは変化。
当然日本も様々な変化があるだろうが、同じ10年という時間の経過のなかで、
中国の変化は目を見張るものがある。
だから先入観を持たず、今の中国を理解しに行ったほうが良いと思う。


2人を待っている間、あたりを見回しながら、行きかう人を観察していた。


約10年ぶりの上海だが人々が着ている服が良くなっているように見える。
それ以上に表情が豊かになっている。笑顔が多い。
昔はもっと表情がきつかったような印象だが。
経済が発展する中で人々の生活も豊かになり、精神的にもゆとりが生まれてきているのだろうか。


街に出ても、以前と印象がかなり違う。
道行く車がきれいだ。10年前は埃をかぶった薄汚れた車が大半だったが、全体的にきれい。
そしてやたら高級車が多い。ベンツ、BMWにアウディは珍しくもなんともない。
フェラーリ、ポルシェ等々といった日本にいたら滅多にみられないような車を見ない日がない。

空気はどうだろう。
日本の報道ではマスクがないとやっていけないように伝わっているが、
少なくとも滞在中マスクが必要だと思ったことがない。
北京周辺や東北地方は冬になればマスクが必要なようだが、中国全土が365日PM2.5で
汚染されているわけではなさそうだ。


夜景で有名な外灘。以前はとても汚れていた。
ゴミだらけ、匂いも・・・。
今は、色はまだまだ(上流からの砂が混じっているので、これ以上はきれいにならないのかもしれないが)、
随分きれいになった印象。
そういえば、私の地元の北九州の海がそうだった。
子供の頃の洞海湾は墨汁のような色で油が浮き、ヘドロ臭かった。
その後の環境整備でとてもきれいになり、湾内で獲れるエビが食べられるという。
ここでも同じような改善が起こるのだろう。


10年。
日本はこの10年でどのように変化したのだろう。
進化しているのだろうか。
目覚ましい発展をこの目で見て、改めて中国のパワーを感じ、
この国に住む人たちとどのように接し、付き合っていくのか、
移動の車の中から街の景色を眺めながら考え込んでしまった。






<上海東浦国際空港から都心へ向かう車窓からの景色>
  

2019年08月07日

10:雪の中出発、そして再会

2月初旬。
当日は横殴りの雪。


視界不良のため滑走路上で3時間近く待機。
しかも状況説明がない。時々アナウンスが入っているが中国語、たまに英語。
結局2時間経過後に初めて日本語で『燃料の最充填中です』と一言。
いきなり国際線の洗礼を受けた。
この後も何度かトラブルに遭遇するのだが、出だしからこれかと前途多難が予想される初日となった。


上海東浦空港に到着。15時到着予定が18時になった。
入国審査、手荷物の受け取りはスムーズに終え到着ゲートを出たが迎えがいない。
予定ではR君が私を出迎え、その後東京から1時間遅れで到着するA君と合流し、
店舗視察の予定だったが、私の搭乗便が大幅に遅れたため予定はガタガタ。


何度も出張で訪れた場所とは言え、10年ぶりの異国の地。
しかも待ち合わせ場所に、見覚えのある顔が見当たらない。
やはり不安だ。


どのくらいの時間を待ったのだろう。
見覚えのある2人が血相を変えて到着ゲートに走りこんできた。
ものすごく焦っている2人の表情がなんだかおかしくてしばらく声をかけずに見ていた。


がっちり握手。R君はいつぶりだろう。15年くらいかな。
無事合流。
  

2019年08月03日

9:飛行機の乗り方

当時、すでに東京から別府に引っ越してきて8年が経過。
その間飛行機にのる機会がなかった。
会社に勤めていた時は乗らない月がないほどだったのだが。
この間チケットレスサービスが充実。
搭乗手続きも色々変化している。
時代が流れていることをこんなことでも感じる。


渡航スケジュールを確定させ、先方からチケット手続きのための
パスポート情報の確認があり、返信。
搭乗便の情報がすぐに帰ってきたのだがその後の連絡がない。


会社にいたころなら、総務部の人が旅行代理店からチケットその他しおりなどが
セットされたビニールケースを持ってきてくれていたので、
私の頭のなかはそんなものが国際郵便かなにかで届くのだろうと思っていた。


日程直前になりさすがに不安になってA君に連絡。

『チケットが送られてこないけど、どうなってんの?』

『パスポートだけあれば手続きできますよ(笑)』

『なに!』


なんだかとても恥ずかしくなった。
ああ、浦島太郎状態。社会の変化についていけていない自分にがっかり。
やっぱり外に出ないとダメだなぁ。





約2年も通ったら、パスポートはあっという間にいっぱいで2冊目に。

  

2019年07月31日

8:新たな挑戦のスタート

年始早々受験ラッシュ。本当に中学受験は大変。
当然正月などあったものではない。
結果は無事合格でほっと一息。よく頑張りました。


さて次は自分の番。
A君に即連絡。
彼らはまず自分達が大分まで挨拶に来てと仁義を切りたがっていたが、
今時三顧の礼でもあるまい。
やると決めたならそんな礼儀作法はすっ飛ばし、直接現地で店舗や商品を
見ながら話しを進めたほうが早い。


ただその誠意には嬉しさを覚える。
自然とモチベーションが上がる。
誰かの役に立とうという素直な気持ち。
仕事をする上で一番大切なことだと改めて気づかされる。


そんなことを思いながら、自分が渡航できる最短スケジュールがどこなのか、
楽庵の予約表とにらめっこ。



私も自分の店のお客さんの予約スケジュールもあるので、結局翌月2月初旬の渡航で決定。
いよいよ新たな挑戦がスタートする。
  

2019年07月27日

7:リハビリ

会社を辞めて早10年。
今は全く違う業界にいるので、少し頭を慣らそうと、
受験対策をする傍ら、自分自身のリハビリを始めた。


在職中の様々な資料、手帳やメモを時系列に整理しながら記憶をたどる。
社長からもらった課題図書も改めて読み直してもみた。


あちらこちらにメモしてある社長の肉声。
発せられたままの言葉を走り書きしている内容を読み返して、
もしかするとその当時よりも今のほうがその本質を理解できているのでは
ないかと思うことが多々あった。


個人で商売を始め、誰からも何の助言も受けず、あえて自分の頭だけで
考え判断し行動してきた中で、自然と在職中の経験が血肉となっていることに
気づかされる。







  

2019年07月24日

6:タイミングを計る

A君から連絡。
『R君と一度年内に大分まで挨拶に行きます。
今後の戦略もゆっくり練りたいので温泉にでもつかりながら・・・』


いよいよもって、彼らは前のめりだ。
人に請われるというのは悪い気はしない。
どうすべきか物事の優先順位とタイミングを見計らって
すべての折り合いをうまくつけたいと思う。


中国の件、自分の店、息子の受験。
息子の受験は結果はどうあれ後2か月。
そこまで待ってもらえれば、あとは自分の店の営業との両立をどうするかだけ。


結局は彼らのスケジュールが調整できず大分訪問は一旦流れ、
年明けにリスケするということになったのだが、こちらにとっても好都合だった。







  

2019年07月20日

5:賛否両論

挑戦してみようと腹をくくったが、一つ大きな問題がある。
上海まで行くとなると数日店を休むことになる。
この土地で商売を始め、それなりに根付き、お客様もついている。
安定した状態をわざわざ変える必要があるのか。
お客様に迷惑をかけるのではないか。
店休日の多いサービス業などお客様の立場では使い勝手の悪い店になるが・・・。


常連さんたちにそれとなく話してみると、

『危なくないの?』

『つかまったりしない?』

使い勝手のことではなく、私の身の安全についての心配の声。
本当にありがたいことです。


当時の日中関係は今と比べればまだまだ緊張状態。
のちに地質調査を依頼された日本企業の社員が現地で拘束される事件が
あったように、決してない話ではなく、皆さんの心配も過剰ではない。
そんな時期でした。


極々少数の、
『新しいことにチャレンジするのはいいこと』と背中を押してくれる方も。


この人たちが使いにくい店にならないように、どのような契約をするのが良いのか。
契約交渉の場での私の要望を整理しておかないといけないなと。



  

2019年07月13日

4:子供からの刺激

当時の我が家は、子供の中学受験対策の真っただ中。
6年の夏から本格的に受験準備を始め、この時は本番を目前の11月。


焦りと不安の中、周囲からの遅れをキャッチアップしていく子供の姿を
頼もしく見る反面、なにやらよく分からない感情が芽生え始めていた。


軌道に乗っている今の商売になんの不満もないし、
なにより贔屓にしてくれるお客さんがいる。
何も無理して現状に変化をつけることもないのではないかとも考えるが、

『自分は今のままで良いのか』

『自分はなにかに挑戦しているのか』

『現状維持でよいのか。新たなチャレンジが必要ではないか』

自問自答を繰り返す。

挑戦する子供の姿に刺激を受け、何かやりたいという気持ち。
まだまだ影響を与え続けるぞという親としての責任感。
そんなことを思い始めたときに、中国の案件は絶好のタイミングで訪れた。
これは運命ではないか。
そんな考えが気持ちの中で勝ち始めた。